2月17日に辞職しました。
勤めてから5年8ヶ月、今の部署に配属されてからは4年10ヶ月でした。
この2年ほどの間、いつも辞めたいと思いつつ、来年こそ、来月こそ、来週こそ、明日こそはと思いながら、切り出すきっかけを見つけられずにいました。
やり甲斐とはなんでしょう
辞めた理由は、ただひとつ。
「賃金が安すぎる」
そのことに他なりません。
パートだったので時給で働いていましたが、昇給なしの雇用契約ではモチベーションを維持することができませんでした。
あなたは仕事になにを求めますか?
私はやり甲斐です。
私の求めるやり甲斐とは───
- 努力に見合う結果
- 能力に対する評価
- 報酬
結果は達成感をもたらし、評価は認められたい欲求を満たし、報酬は生活全般に潤いを与えます。
結果と評価と報酬がバランスよく噛み合えば、やり甲斐の歯車はスムーズに回り、さらに前へと進むことができるのです。
辞職を決めたきっかけ
当初は時給が固定でも納得していました。
私自身が腰掛け程度の軽い気持ちであったのと、今のような業務を任されるとは想像すらしていなかったからです。
ところが、日が経つにつれ、年を経るにつれ、私は日本人なら誰もが知る大きな企業で、某部署の一端をほぼひとりで担う役割を与えられていました。
いわゆるワンオペと言えばイメージしやすいでしょうか。
案件ごとの情報収集、関係先への手配、問題点の洗い出しと解決の道筋を考えること、業務自体はどこを取っても私と相性がよく、ストレスや不満を感じたことはありませんでした。
楽ではないものの、どの案件でも注いだエネルギーに見合うだけの達成感を得ていました。
積み重ねた実績を関係先は信頼という形で評価してくれています。
でも、満たされているはずの一方で、なぜだか腑に落ちない、どことなく物足りない。
経験値が上がるほどに、胸の中でもやもやとなにかがくすぶり続けています。
この頃は仕事のやり甲斐について、まだ自分の中できちんと整理できていませんでした。
ある日のこと、年単位でお付き合いのある関係先の課長代理が、いつの間にか課長に昇格していることを知りました。
最初はお互いに駆け出しだったので、同じスタートラインに立っていたのに。
私は あの頃から なにひとつ 変わっていない。
同志の出世を喜ぶのと同時に、一抹の寂しさと焦燥感を覚えました。
それからも気を付けて見ていると、グループ長だった人が支店長になり、肩書きは変わらずとも地方から東京へ栄転している人がいたり。
逆に、長らく名前を見ていないことから、退職したであろう人もいますが、少なくとも私が接点を持ち続けている人たちは、そのほとんどがステイタスを上げています。
私だけが 何年経っても 同じまま。
私だけが 取り残されている。
はっとしました。
消えない火種はそこにあると気付き、同時に目が覚めたのでした。